【リチャード三世@赤坂ACT】
どういうことなのだろう、「悪」よりも「哀」を感じてしまうのは!
稀代の悪党リチャード三世、しかし古田さん演じるこの作品の主役は悪の凄味よりも、世界に拒否された哀しみが先にたってしまうのだ。
リチャード三世を下敷きにした作品をいのうえさんが演出した例として、「天保十二年のシェイクスピア」と「朧の森に棲む鬼」があるのだが、翻案作品であるそちらのほうが、悪党ぶりが際だっているのはどういうことなんだろう。
あの作品の主人公たちが破滅しても、快哉を叫びたくなるような爽快感があったというのに、古田リチャードの最期はあまりにミジメで矮小で、それ故に実に重苦しい存在感があったのだ。
リッチモンド伯が勝ち名乗り上げ、舞台上は輝かしい祝勝ムードが支配しているのに、新王の後ろで死んでいるリチャードから目が離せないのだ。
ただそこにいる、リチャードの屍体から。
思い返してみれば、いのうえ歌舞伎における古田さんの芝居には、いつもどこか「哀」が漂っているような気がする。
捨之介なんかはその典型だし。
サイケな衣装も、奇抜な演出も、ハードロックなリチャードのテーマも、老練な役者による流麗なセリフ回しも、すべて、古田新太の「哀」の前には霞んでしまうのだ。
あくまで自分にとっては、だけど。
もう、20年近く古田さんといのうえさんと新感線を見続けてきたわけだが、この20年が本当に存在していたのかと、ふと、不安になる。
知っているのに、知らない。
たぶんそれは、悪夢にうなされるよりも恐ろしく、そしてゾクゾクする喜びでもある。
古田新太俳優生活15周年作品、まさに、古田さんのために用意された作品であった。
しかし、自分が行った回だけかもしれないが、古田さん、セリフ噛みすぎ。
古田さんがセリフに詰まる姿を見るのは、初めてな気がする。
そういう意味でも、知っているのに知らない古田さんを見たのかもしれない。
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